羽黒山五重塔 [山形県]
朝、山形駅から鶴岡駅へ、駅からバスで羽黒センターで下車、そこから須賀の滝、五重塔を撮影し一の坂、二の坂を上りきった所のから本坊跡へそして最大の難所三の坂を登りきって三神合祭殿が羽黒山の最終地点、そこからバスで鶴岡駅への体力と気力勝負の工程でしたが無事帰還できました(笑い)。国宝五重塔と近場の関連映像をご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「羽黒山五重塔(はぐろさんごじゅうのとう)は山形県庄内地方にある羽黒山の参道にある五重塔。平安時代中期の承平年間(931~938年)平将門の創建と伝えられているが定かではない。再建は室町時代前期の応安年間(1368~1375)長慶天皇の御代、山形藩主 最上義光(もがみよしあき)が大修理を行ったとされている。 高さ約29m、三間五層柿葺素木造の塔は東北最古といわれる。近くには樹齢1000年、樹の周囲10mの巨杉“爺杉”がある。
国宝 羽黒山五重塔:Wikipediaからの抜粋
立石寺 [山形県]
学生時代に一度,車で訪れたことがありましたが奥の院まで行く興味もなく写真も何処かに埋れて見つかりません。今になって好奇心がもりもり、2007年7月3日の映像で仁王門、奥之院、納経堂・・も撮れました。この時期はそれほど暑くはなく汗もかかずに頂上まで無事登れました。
Wikipediaからの抜粋ですが「立石寺(りっしゃくじ)は、山形県山形市にある天台宗の寺院。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。山寺(やまでら)の通称で知られ、古来より悪縁切り寺として信仰を集める。寺名は古くは「りゅうしゃくじ」と称した。
立石寺の創建について、寺伝では貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。
立石寺は山形城主であった最上家(斯波兼頼を祖とする)と関係が深く、同家の庇護を受けていた。最上義守の母・春還芳公尼(しゅんげんほうこうに)は荒廃した堂宇の再興に努め、その孫(最上義守の子)にあたる最上義光(よしあき)も立石寺を援助した。
元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れ、その時のことが『おくのほそ道』に書かれている。また、当地で名句
「閑さや巖にしみ入る蝉の声」 を詠んでおり、参道に句碑がある。
秋の仁王門前:Wikipediaからの抜粋
初冬の立石寺納経堂:Wikipediaからの抜粋
冬の仁王門:Wikipediaからの抜粋
蔵王:樹氷パレード [山形県]
2008年1月下旬に撮影、一泊のバスツアーで蔵王の樹氷を撮りたく極寒をいとわず出かけてきました。一日目はロープウェイ
で地蔵山頂上でのライトアップ樹氷、二日目は遠刈田温泉から’暖房完備の雪上車で白銀の樹氷林探検’のうたい文句でみやぎ蔵王の頂上へ、両日とも冬場にしては晴れてはいませんでしたが吹雪でもなく大雪でもなく幸運な旅行とガイドさんが強調してました。公開したい映像量が多いので数回に分割して投稿します。
「樹氷ができる気象条件」
シベリアからの北西の季節風は、日本海の対馬海流から多くの水蒸気をもらって雪雲を作ります。雪雲は朝日連峰で上昇して多量の雪を降らせます。雪雲は山形盆地を通って、再び蔵王連峰で上昇して雪を降らせます。そのときの雲の中は、多くに雲粒が0℃以下でも凍らない過冷却水滴になって、雪とまじりあった状態になっています。蔵王の1~2月頃は快晴の日が少なく、風向きは北西から西を示し、平均風速10~15m/s、平均気温-10~-15℃の吹雪の世界です。樹氷はこうした気象条件のなかで成長します(パンフレットより」
5回目は、最終目的の樹上画像を説くとご覧下さい。
蔵王の樹氷:雪上車で頂上へ [山形県]
動画映像は下記のサイトでご覧下さい
http://ameblo.jp/takemovies/entry-10080671425.html
2008年1月下旬に撮影、一泊のバスツアーで蔵王の樹氷を撮りたく極寒をいとわず出かけてきました。一日目はロープウェイで地蔵山頂上でのライトアップ樹氷、二日目は遠刈田温泉から’暖房完備の雪上車で白銀の樹氷林探検’のうたい文句でみやぎ蔵王の頂上へ、両日とも冬場にしては晴れてはいませんでしたが吹雪でもなく大雪でもなく幸運な旅行とガイドさんが強調してました。公開したい映像量が多いので数回に分割して投稿します。
「樹氷ができる気象条件」
シベリアからの北西の季節風は、日本海の対馬海流から多くの水蒸気をもらって雪雲を作ります。雪雲は朝日連峰で上昇して多量の雪を降らせます。雪雲は山形盆地を通って、再び蔵王連峰で上昇して雪を降らせます。そのときの雲の中は、多くに雲粒が0℃以下でも凍らない過冷却水滴になって、雪とまじりあった状態になっています。蔵王の1~2月頃は快晴の日が少なく、風向きは北西から西を示し、平均風速10~15m/s、平均気温-10~-15℃の吹雪の世界です。樹氷はこうした気象条件のなかで成長します(パンフレットより」
4回目は、雪上車で頂上へ、車窓風景が変わっていくのをご覧下さい。
蔵王の樹氷:ライトアップ [山形県]
動画映像は下記のサイトでご覧下さい
http://ameblo.jp/takemovies/entry-10077768342.html
2008年1月下旬に撮影、一泊のバスツアーで蔵王の樹氷を撮りたく極寒をいとわず出かけてきました。一日目はロープウェイ
で地蔵山頂上でのライトアップ樹氷、二日目は遠刈田温泉から’暖房完備の雪上車で白銀の樹氷林探検’のうたい文句でみやぎ蔵王の頂上へ、両日とも冬場にしては晴れてはいませんでしたが吹雪でもなく大雪でもなく幸運な旅行とガイドさんが強調してました。公開したい映像量が多いので数回に分割して投稿します。
「樹氷ができる気象条件」
シベリアからの北西の季節風は、日本海の対馬海流から多くの水蒸気をもらって雪雲を作ります。雪雲は朝日連峰で上昇して多量の雪を降らせます。雪雲は山形盆地を通って、再び蔵王連峰で上昇して雪を降らせます。そのときの雲の中は、多くに雲粒が0℃以下でも凍らない過冷却水滴になって、雪とまじりあった状態になっています。蔵王の1~2月頃は快晴の日が少なく、風向きは北西から西を示し、平均風速10~15m/s、平均気温-10~-15℃の吹雪の世界です。樹氷はこうした気象条件のなかで成長します(パンフレットより」
3回目は、地蔵山頂上のライトアップです。私たちのツアーのための短時間ライトアップでしたので数が少ないですが幻想的な映像をどうぞ!
蔵王の樹氷:地蔵山頂上 [山形県]
動画映像は下記のサイトでご覧下さい
http://ameblo.jp/takemovies/entry-10074069405.html
2008年1月下旬に撮影、一泊のバスツアーで蔵王の樹氷を撮りたく極寒をいとわず出かけてきました。一日目はロープウェイで地蔵山頂上でのライトアップ樹氷、二日目は遠刈田温泉から’暖房完備の雪上車で白銀の樹氷林探検’のうたい文句でみやぎ蔵王の頂上へ、両日とも冬場にしては晴れてはいませんでしたが吹雪でもなく大雪でもなく幸運な旅行とガイドさんが強調してました。公開したい映像量が多いので数回に分割して投稿します。
「樹氷ができる気象条件」
シベリアからの北西の季節風は、日本海の対馬海流から多くの水蒸気をもらって雪雲を作ります。雪雲は朝日連峰で上昇して多量の雪を降らせます。雪雲は山形盆地を通って、再び蔵王連峰で上昇して雪を降らせます。そのときの雲の中は、多くに雲粒が0℃以下でも凍らない過冷却水滴になって、雪とまじりあった状態になっています。蔵王の1~2月頃は快晴の日が少なく、風向きは北西から西を示し、平均風速10~15m/s、平均気温-10~-15℃の吹雪の世界です。樹氷はこうした気象条件のなかで成長します(パンフレットより」
2回目は、地蔵山頂上ですが、微風でしたがマイナス10度、寒く、冷たく、痛い中で夕暮れをバックに撮った樹氷をご覧ください。
蔵王の樹氷:ロープウェイからの眺め [山形県]
動画映像は下記のサイトでご覧下さい
http://ameblo.jp/takemovies/entry-10073089158.html
2008年1月下旬に撮影、一泊のバスツアーで蔵王の樹氷を撮りたく極寒をいとわず出かけてきました。一日目はロープウェイで地蔵山頂上でのライトアップ樹氷、二日目は遠刈田温泉から’暖房完備の雪上車で白銀の樹氷林探検’のうたい文句でみやぎ蔵王の頂上へ、両日とも冬場にしては晴れてはいませんでしたが吹雪でもなく大雪でもなく幸運な旅行とガイドさんが強調してました。公開したい映像量が多いので数回に分割して投稿します。
「樹氷ができる気象条件」
シベリアからの北西の季節風は、日本海の対馬海流から多くの水蒸気をもらって雪雲を作ります。雪雲は朝日連峰で上昇して多量の雪を降らせます。雪雲は山形盆地を通って、再び蔵王連峰で上昇して雪を降らせます。そのときの雲の中は、多くに雲粒が0℃以下でも凍らない過冷却水滴になって、雪とまじりあった状態になっています。蔵王の1~2月頃は快晴の日が少なく、風向きは北西から西を示し、平均風速10~15m/s、平均気温-10~-15℃の吹雪の世界です。樹氷はこうした気象条件のなかで成長します(パンフレットより)」
1回目は、ロープウェイで地蔵山頂上までの眺めをご覧ください。窓越しのため多少観ずらいところがあります。次回から樹氷映像を投稿しますが今回は最後の画像が樹氷の一枚です。
羽黒山五重塔 [山形県]
2007年7月3日撮影、朝、山形駅から鶴岡駅へ、駅からバスで羽黒センターで下車、そこから須賀の滝、五重塔を撮影し一の坂、二の坂を上りきった所のから本坊跡へそして最大の難所三の坂を登りきって三神合祭殿が羽黒山の最終地点、そこからバスで鶴岡駅への体力と気力勝負の工程でしたが無事帰還できました(笑い)。国宝五重塔と近場の関連映像をご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「羽黒山五重塔(はぐろさんごじゅうのとう)は山形県庄内地方で羽黒山の参道にある五重塔。平安時代中期の承平年間(931~938年)平将門の創建と伝えられているが定かではない。再建は室町時代前期の応安年間(1368~1375)長慶天皇の御代、山形藩主 最上義光(もがみよしあき)が大修理を行ったとされている。 高さ約29m、三間五層柿葺素木造の塔は東北最古といわれる。近くには樹齢1000年、樹の周囲10mの巨杉’爺杉’がある。」と記載されています。
国宝 羽黒山五重塔:Wikipediaからの抜粋
山形市:立石寺 [山形県]
2007年7月上旬撮影、名句「閑さや巖にしみ入る蝉の声」の山寺の映像をご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「立石寺(りっしゃくじ)は、山形県山形市にある天台宗の寺院。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。山寺(やまでら)の通称で知られ、古来より悪縁切り寺として信仰を集める。寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。立石寺の創建について、寺伝では貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。
立石寺は山形城主であった最上家(斯波兼頼を祖とする)と関係が深く、同家の庇護を受けていた。最上義守の母・春還芳公尼(しゅんげんほうこうに)は荒廃した堂宇の再興に努め、その孫(最上義守の子)にあたる最上義光(よしあき)も立石寺を援助した。義光の時代の分限帳によれば、立石寺には寺領1,300石が与えられている。元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れ、その時のことが『おくのほそ道』に書かれている。
また、当地で名句「閑さや巖にしみ入る蝉の声」を詠んでおり、参道に句碑がある。」と記載されています。
秋の仁王門前:Wikipediaからの抜粋
初冬の立石寺納経堂:Wikipediaからの抜粋
冬の仁王門:Wikipediaからの抜粋