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青木山本覚寺 [日本の歴史]

動画映像は下記のサイトでご覧下さい
http://ameblo.jp/takemovies/entry-10053685822.html

2007年8月撮影、青木山本覚寺が表舞台に出たのは幕末に横浜港が開港されるた時、本覚寺はアメリカ領事館となり、初代領事ハリスが駐在しました事です。
この領事館は三年後には横浜へ移されますが、この間、寺僧は退去させられ、御本尊は板囲いで覆われ、一般人の立ち入りは禁じられていた状態だったそうです。
当寺に岩瀬肥後守忠震のレリーフ像をはめこんだ碑が建っていますが、これは幕末、神奈川(横浜)の開港を首唱した岩瀬肥後守忠震で、横浜の開港の恩人への感謝の碑として、横浜郷土研究会有志によりまして昭和57年に建立された背景です。付近の寺院では、甚行寺がフランス公使館、浄滝寺がイギリス、慶雲寺はフランス、長延寺はオランダ領事館となっております。また江戸時代、当寺一帯は、東海道五十三次の神奈川宿場町として大変賑わっておりました。ことに、現在の台町辺りは、神奈川湊を見下ろす景勝の地で、宿や茶店が建ち並んでいたようです。明治を迎えると、本覺寺の境内は、新橋-横浜間の鉄道用地、道路拡張などで収用され、狭められていきました。この頃の画像を添付しましたの参考にして下さい。









明治4年10月、わが国初の鉄道開通の前年現幸ヶ谷公園から現横浜西口方面を望む
左手の森は現青木町、線路右手の木は本覚寺線路をまたぐ陸橋は東海道を結ぶ青木橋
青木橋の先き、線路が大きくカーブする手前左側に神奈川駅(昭和3年に3代目横浜駅が
現在地で開業したため廃駅)。その神奈川駅の先一帯が現在の横浜駅西口だが、当時は
海であったことが一目瞭然である


明治4年(1871)鉄道開通の前年、現在の台町から見た港。手前の家並みは東海道
路線左手に国鉄「神奈川駅」カーブした右手が現横浜駅あたりで、現在の駅前周辺は
海であった。

投稿済み神奈川宿の動画映像
「坂本龍馬の妻お龍」
http://ameblo.jp/takemovies/entry-10052488062.html


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めぎ

ここ、知ってます。わたしの知り合いがこの近くに住んでいて、前回日本へ行ったときにこのお寺の写真撮りました。
by めぎ (2007-11-14 07:07) 

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