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福岡市:福岡城 [福岡県]

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2010年4月中旬撮影、福岡市にある福岡城の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「福岡城(ふくおかじょう)は日本の城の一つで、所在地は福岡県福岡市中央区城内。別名、舞鶴城、石城。江戸時代初頭に完成し、外様大名の福岡藩黒田氏の居城であった。国の史跡。
慶長5年(1600年)黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、一躍筑前一国52万3千石を得て名島城に入城した。便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵(現在の舞鶴公園・福岡城跡)を新城候補地に選定した。慶長6年(1601年)には築城が開始され、7年後の慶長12年(1607年)に竣工した。江戸期に数度の改修が行われたが、特に幕末の嘉永・万延年間に大改修が行われた。
従来の通説では、正保3年(1646年)に作成された福岡城を描いた最古の絵図『福博惣絵図』には天守は描かれていないため、幕府への遠慮から天守は造築されなかったとされている。
近年になって、当時豊前国小倉藩主であった細川忠興が、彼の三男で次期藩主の忠利へ宛てた元和6年(1620年)3月16日付の手紙に「黒田長政が幕府に配慮し天守を取り壊すと語った」と天守の存在を窺わせる記述が発見されたことによって、天守があった可能性が示されている。天守の解体を語ったとされるこの当時は、徳川氏の大坂城普請に諸大名が築城に駆り出されたことから、天守を解体し築城資材として投入することによって幕府の信任を得ようとしたと言う説も上がっている。」と記載されています。

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北九州市:小倉城庭園 [福岡県]

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2010年4月中旬撮影、小倉城の東側にある小倉城主・小笠原氏の下屋敷跡地に、平成10年9月にオープンした庭園です。江戸時代の大名屋敷を再現したもので、全国でも珍しい「礼儀作法のテーマ館」です。
書院棟、展示棟、日本庭園からなり、書院棟には武家屋敷の様式を再現した和室があり、抹茶が楽しめる「立礼席(りゅうれいせき)」や茶会に利用できる座敷などがあります。庭園は屋敷下の「のぞき池」の周囲を巡りながら景観を楽しむ「池泉回遊式」で、展示棟には平安時代から武家社会、現代までの「マナーの歴史」を映像や展示品で紹介。小笠原流の作法を記した「小笠原礼法絵巻」も公開されています。

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北九州市:小倉城 [福岡県]

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2010年4月中旬撮影、北九州市にある小倉城の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「小倉城(こくらじょう)は、現在の福岡県北九州市小倉北区にあった城である。勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城などの別名がある。
小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。天守は、4重5階の大天守と1重の小天守からなる連結式層塔型天守であった。大天守は最上階外廻縁が幕府への遠慮により重数を少なく見せるために、また、雨よけのために雨戸で覆われた下層よりも張り出している、いわゆる唐(南蛮)造りである。最上層の入母屋破風を除き、破風の一切無いものであった。」と記載されています。

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小倉城庭園と復興天守:Wikipediaからの抜粋
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福岡市:聖福寺 [福岡県]

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2010年4月中旬撮影、福岡市の博多区ある聖福寺の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「聖福寺(しょうふくじ)は福岡県福岡市博多区にある臨済宗妙心寺派の寺院である。栄西創建で、日本最初の禅寺として有名である。境内は国の史跡に指定されており、山門や仏殿などがある。山号は安国山(通称は安山)。建久6年(1195年)に日本の臨済宗開祖の栄西(ようさい)が南宋より帰国後に、宋の人が建立した博多の百堂の跡に寺院を創建した。これが日本最初の禅寺であり、禅道場である。山門には元久元年(1204年)後鳥羽天皇により贈られた「扶桑最初禅窟」の額がある。室町時代末期に兵火を受けたが永禄11年(1568年)、耳峰が入山して再興する。天正15年(1587年)には領主小早川隆景が寺領300石を寄進、仏殿、総門などの諸堂宇を修営した。他文禄4年(1595年)に豊臣秀吉より200石、慶長5年(1600年)に黒田長政より200石など、寺領の寄進が伝えられている。当初は臨済宗単独寺院であったが、建仁寺派となり、現在は妙心寺派となっている。江戸時代の文化・文政期には、禅画で名高い仙厓義梵がこの寺の住職を務め、文人の間に当寺の知名度を上げた。」と記載されています。

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聖福寺:Wikipediaからの抜粋
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仏殿「大雄寳殿」:Wikipediaからの抜粋
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福岡市:承天寺 [福岡県]

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2010年4月中旬撮影、福岡市の博多区ある承天寺の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「承天寺(じょうてんじ)は、福岡県福岡市博多区にある臨済宗東福寺派の寺院である。仁治2年(1241年) 大宰少弐武藤資頼が円爾(弁円)を招聘して創建。創建にあたっては謝国明ら宋商人が多く援助した。寛元元年(1243年)官寺となる。
仏殿「覚皇殿」、方丈、開山堂などがある。方丈の前には石庭「洗濤庭」が広がる。墓地には新派俳優の川上音二郎や、博多織を始めた満田弥三右衛門らの墓がある。」と記載されています。

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Wikipediaからの抜粋
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