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鎌倉:安養院 [鎌倉]

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北条政子の墓と伝えられる安養院の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「安養院(あんよういん)は、神奈川県鎌倉市大町にある浄土宗の寺院。山号は祇園山。寺号は長楽寺。本尊は阿弥陀如来。千手観音(田代観音)を安置し、坂東三十三箇所第3番札所である。この寺は、長楽寺・善導寺・田代寺が統合されてできた寺である。長楽寺は、1225年(嘉禄元年)北条政子が夫である源頼朝の菩提を弔うため長谷笹目ヶ谷に願行を開山として創建した寺と伝えられる。山号を祇園山と号し、律宗の寺院であった。1333年(元弘元年)兵火により焼失し、善導寺に統合され安養院長楽寺と号した。なお、安養院は政子の法号から取られたものである。一方、田代寺は1192年(建久3年)田代信綱が尊乗を開山として比企ヶ谷に建立したのに始まると伝えられ、江戸時代になって安養院に統合された。千手観音は田代寺にあったもので、田代観音とも称されている。」と記載されています。

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五月のツツジと安養院:
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鎌倉:妙法寺 [鎌倉]

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「鎌倉の苔寺」とも呼ばれている妙法寺の映像をご覧下さい。

妙法寺は「建長五年(1253)日蓮上人が安房より鎌倉に入り、初めて松葉が谷に草庵を結ばれた、日蓮宗最初の場所です。文応元年(1260)8月27日松葉が谷法難にあってから、身延山に入山される迄20数年に渡り起居された場所です。松葉が谷法難の時に、日蓮上人に反感を持つ武士や僧らに焼き討ちにされましたが、草庵跡に日蓮を開山とする本国寺が建っていましたが、同寺が興国六年(1357)に京都に移ったので、その跡地に護良親王の遺子・日叡が、亡き父の菩提を弔い、また宗祖・日蓮上人の遺跡を守る為に、延文二年(1357)に再建しました。」と記載されています。


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鎌倉:安国論寺 [鎌倉]

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日蓮上人ゆかりの寺、安国論寺の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「安国論寺(あんこくろんじ)は神奈川県鎌倉市大町(名越)にある日蓮宗の寺院。山号は妙法蓮華山。池上法縁。長勝寺・妙法寺と並び日蓮の鎌倉での布教の中心となった松葉ヶ谷草庵跡とされ、松葉ヶ谷霊跡安国論寺とも言う。開山は日蓮とするが、弟子の日朗が文応元年(1260年)に、日蓮が前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆した岩穴(法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりである。
裏山の富士見台からは由比ガ浜海岸を含む市内を一望でき、日蓮が富士山に向け題目を唱えたとされる。

なお東芝社長や経団連会長を務め、熱心な法華信者であった土光敏夫の菩提寺(墓所)でもある。」と記載されています。

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安国論寺:Wikipediaからの抜粋
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鎌倉:妙本寺 [鎌倉]

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鎌倉幕府内部で起こった政変で2代将軍源頼家の外戚として権勢を握った比企能員(ひきよしかず)とその一族が、北条時政の謀略によって滅ぼされた。その比企一族の菩提寺である妙本寺の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「妙本寺(みょうほんじ)は神奈川県鎌倉市大町にある日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は長興山(ちょうこうざん)で文応元年(1260年)の創建。開基は比企能本、開山は日朗、十界曼荼羅を本尊とする。
現在妙本寺のある谷戸は、現在は比企ヶ谷(ひきがやつ)と呼ばれ、鎌倉時代には比企能員(よしかず)一族の屋敷があった。比企能員は源頼朝の乳母、比企尼の養子であり、1180年以後は頼朝の信任を得て、御家人となった。源平合戦から奥州合戦まで数多くの功績があり、後に能員の妻は源頼家の乳母となり、その娘、若狭局(わかさのつぼね)は頼家の妻となり、頼家の子、一幡(いちまん)を生むなど、源氏とかなり深い関係を持つようになる。その後比企能員の変(ひきよしかずのへん)は鎌倉時代初期の建仁3年(1203年)9月2日、鎌倉幕府内部で起こった政変である。2代将軍源頼家の外戚として権勢を握った比企能員とその一族が、北条時政の謀略によって滅ぼされた。」と記載されています。

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祖師堂:Wikipediaからの抜粋
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鎌倉:長谷寺 [鎌倉]



鎌倉の長谷寺を撮ってきましたのでご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「長谷寺(はせでら)は、神奈川県鎌倉市にある浄土宗系統の単立寺院。山号を海光山、院号を慈照院と称し、長谷観音と通称される。本尊は十一面観音、開山は徳道上人とされる。坂東三十三箇所観音霊場の第四番札所である。伝承では長谷寺の創建は奈良時代とされているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても解明されていない。
寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺の開基でもある徳道上人を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。梵鐘には文永元年(1264年)、当時の住職真光の勧進により鋳物師物部季重が造った旨の銘文があり、この頃には長谷寺が存在していたことと、当時は「新長谷寺」と呼ばれていたことがわかる。鎌倉時代にさかのぼる遺物としては他に弘長2年(1262年)および徳治3年(1308年)銘の板碑、嘉暦元年(1326年)銘の懸仏(かけぼとけ)などがある。」と記載されています。

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観音堂:Wikipediaからの抜粋
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山門:Wikipediaからの抜粋
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鎌倉:竜宝寺 [鎌倉]

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鎌倉の竜宝寺にある新井白石の碑に興味がそそられ撮ってきました。

Wikipediaでは「神奈川県鎌倉市にある陽谷山竜宝寺は戦国時代、この寺のすぐ近くにあった玉縄城主の北条氏勝が 創建した大応寺が前身と伝わる曹洞宗のお寺で、源実朝、北条綱成、氏繁、氏勝の位牌と、新井白石の碑がある。新井白石は、江戸時代中期、六代将軍家宣の政治顧問となり、さまざまな政治改革を行った人で、「正徳の治」といわれ善政の手本とされる政治を指導した人物です。その新井白石は宝永6年(1709)に野牛村500石の領主となりました。白石の民政は、権力で領民を支配するものではなく、道徳的な教えを説いて治めたといいます。また、水利が悪く洪水に悩まされ良好な農地ではなかった野牛村に、排水を良くする水路を掘り、収穫を向上させたとも言われています。「白石堀」、「殿様堀」と呼ばれた水路は、現在も野牛に残っています。
」と記載されています。尚、新井白石の画像は、古河市のHPよりの抜粋です。

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新井白石の碑
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新井白石の画像:古河市のHPよりの抜粋
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鎌倉:寿福寺 [鎌倉]

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鎌倉の映像です。今回は、鎌倉五山第3位の寺院である寿福寺です。

Wikipediaからの抜粋ですが「寿福寺(じゅふくじ)は、神奈川県鎌倉市扇ヶ谷(おうぎがやつ)にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派に属する。鎌倉五山第3位の寺院である。山号を亀谷山(きこくさん)と称し、寺号は詳しくは金剛寿福禅寺という。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。鎌倉三十三観音第24番。鎌倉二十四地蔵第18番。

源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した。この地は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした源氏家父祖伝来の地である。また、この地に頼朝の父源義朝の旧邸があり、1180年(治承4年)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに館(幕府)を構えようとしたが、すでに岡崎義実が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある。」と記載されています。

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源実朝墓所:Wikipediaからの抜粋
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北条政子の墓:Wikipediaからの抜粋
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鎌倉:英勝寺 [鎌倉]

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鎌倉の映像です。今回は、太田道灌の四代の孫康資の娘で、徳川家康の側に使えた「お勝の局」縁の鎌倉唯一の尼寺の英勝寺です。

Wikipediaとホームページからの抜粋ですが「英勝寺は浄土宗の寺で、山号は東光山。現在も鎌倉唯一の尼寺である。徳川頼房や、徳川家光から庇護をうけ、はじめ玉峰清因(徳川頼房の娘小良姫)を門主に迎えて開基したこともあり、代々水戸徳川家の子女を門主に迎えていため、「水戸御殿」や「水戸の尼寺」ともいわれたいう。仏殿、祠堂、唐門、鐘楼などには葵の紋が見られ、いずれも神奈川県指定の重要文化財に選定されている。

鎌倉唯一の尼寺で、創建は1634年(寛永11年)。この地はもと扇ヶ谷上杉家の家宰(家老格)の太田道灌の屋敷跡。寺を建てた英勝院は太田道灌の四代の孫康資の娘で、徳川家康の側に使えたお勝の局と呼ばれ後に水戸家初代の徳川頼房の養母となった人。「水戸様の尼寺」と呼ばれていたように、本寺の住職は歴代水戸家やその縁辺の息女で徳川家の厚い加護を受けた。徳川家の三葉葵の紋をつけた屋根を持つ総門がある。寺紋には徳川家の三葉葵。鎌倉花五山の一つともいわれる花の寺。浄土宗。

お梶の方「英勝院」の聡明さを知らしめる逸話は数多く残る。その中に「家康が家臣たちを集めた時に突然「一番美味い食べ物とは何か」と尋ねた際に、他の者たちがそれぞれが答えをならべたのが、家康がそばで控えていたお梶の方にも尋ねると、「それは塩です」と答えた。「塩がなければ味を調えられません」という意外な理由に一同が感心した。「では一番不味いものは何か」とお梶の方に尋ねると、彼女は迷わずに「それも塩です。どれほど美味しきものでも、塩を入れすぎれば食べられません」と答えたという。」

もう一つ「お梶の方は関ヶ原の戦いおよび大坂の役にも男装して騎馬にて同行しており、戦場のマスコット的要素もあったとはいえ、将兵たちの士気を高めるのに一役かったといわれ、関ヶ原にて勝利した際にはそれを祝って「お勝の方」と改名させたほどである。」と記載されています。

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旧地での英勝寺山門:HPより添付
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水戸徳川家の三つ葉葵の紋と 太田家の桔梗の紋:HPより添付
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天井の竜:HPより添付
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鳳 凰:HPより添付
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本 尊  阿弥陀三尊像:HPより添付
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鎌倉:龍口寺 [鎌倉]

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龍口寺(りゅうこうじ)は神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は寂光山(じゃくこうさん)。略字体を用いて「竜口寺」と称す場合もある。
五重塔は明治43年(1910年)竣工。木造の五重塔としては神奈川県で唯一。建造には竹中工務店が携わったと記されています。

五重塔も修理の必要な箇所が見えましたが?大事にしたいですね。

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鎌倉:建長寺_前編 [鎌倉]





動画映像は下記のサイトでご覧ください

http://ameblo.jp/takemovies/entry-10074083054.html




建長寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山である。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼(Wikipediaより抜粋)。

建長寺は、洪鐘(国宝)、重要文化財の仏殿、樹齢約750年といわれるビャクシン(白槙)、国指定史跡になっている方丈庭園・・・など日本史にかかわる物件が多く残されています。

























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