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長崎市:軍艦島 [長崎市]

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2010年4月中旬撮影、世界遺産に申請しているかつて炭鉱としてにぎわった軍艦島とも言われている端島の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「端島(はしま)とは、長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。かつては海底炭鉱によって栄え東京以上の人口密度を有していたが、閉山とともに島民が島を離れ、現在は無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている
端島での石炭の発見は一般に1810年(文化7年)のこととされる。江戸時代の終わりまでは、漁民が漁業の傍らに「磯掘り」と称し、ごく小規模に露出炭を採炭する程度であった。
1890年(明治23年)、端島炭鉱の所有者であった鍋島孫太郎(鍋島孫六郎、旧鍋島藩深堀領主)が三菱社へ10万円で譲渡。端島はその後100年以上にわたり三菱の私有地となる。1916年(大正5年)には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」が建設された。長崎日日新聞が当時三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に似ているとして「軍艦島」と呼んでいることから、「軍艦島」の通称は大正時代ごろから用いられるようになったとみられる。ただし、この頃はまだ鉄筋コンクリート造の高層アパートはまだ少なく(30号棟と日給社宅のみ)、大半は木造の平屋か2階建てであった。
端島炭鉱は良質な強粘炭が採れ、隣接する高島炭鉱とともに、日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つであった。人口が最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には5,267人の人口がおり、人口密度は83,600 人/km2と世界一を誇り東京特別区の9倍以上に達した。炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗(常設の店舗のほか、島外からの行商人も多く訪れていた)・病院(外科や分娩設備もあった)・寺院「泉福寺」(禅寺だがすべての宗派を扱っていた)・映画館「昭和館」・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場(スナック)「白水苑」などがあり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していた。
1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退。1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年(昭和49年)1月15日に閉山し端島は無人島となった。近代化遺産として、また大正から昭和に至る集合住宅の遺構としても注目されている。廃墟ブームの一環でもしばしば話題に上る。一部で世界遺産への登録運動が行われ「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、2009年(平成21年)1月に記載された。」と記載されています。

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   以下Wikipediaからの抜粋
端島(北東側、2006年撮影)。左:小中学校(70号棟)、中央:鉱員社宅(65号棟)、右手前:端島病院(68・69号棟)、中央手前:ちどり荘(教員用住宅)
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昭和初期の端島
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端島(南西側、2009年撮影)
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