坂本龍馬の妻お龍 [日本の歴史]
明治5年頃撮影:Wikipediaからの抜粋
HNK大河ドラマ「龍馬伝」が放映されている幕末の志士、坂本龍馬は・・・・と書き始めるには時間と能力がないので止めて、横浜駅付近にある安藤広重が画いた東海道五十三次連作中の「神奈川宿 台之景」の「さくらや」が現在、割烹田中家として営業しています。その田中家で歴史上の人物「坂本龍馬」の女房であった「お龍」は、この田中家で「仲居」として働いていたと言われていますがその田中家と旧東海道その付近の画像を紹介します。尚、「神奈川宿 台之景」は横浜市神奈川区史からの抜粋です。
Wikipediaからの抜粋ですが「楢崎 龍(ならさき りょう、天保12年6月6日(1841年7月23日) - 明治39年(1906年)11月15日)は坂本龍馬と結婚した女性である。名は一般におりょう(お龍)と呼ばれることが多い。
天保12年(1841年)、医師の楢崎将作の長女として京都で生まれた.。父の将作は井伊直弼による安政の大獄で捕らえられ、獄死している。このため、お龍と母、そして幼い4人の弟妹は生活に困るようになり、お龍はそれを養うために京都の料理屋で働いていた。料理屋を辞めて天誅組残党の賂いとなる。しかし天誅組が幕府の追討を受けると、各地を放浪するようになった。このとき坂本龍馬と出会い、龍馬から自由奔放なところを気に入られ恋仲となり、その後寺田屋に奉公することとなった。
慶応2年(1866年)、薩長同盟の成立を悟った幕府の伏見奉行配下の捕り方によって寺田屋が包囲されたとき、お龍は風呂に入っていたが、裸(実際は浴衣を着ていた)で飛び出して龍馬に危機を知らせて救ったとされる(寺田屋事件)。その直後に龍馬と結婚した。慶応3年(1867年)、龍馬が暗殺されたあと勝海舟の紹介で 神奈川宿の旅館・田中家で仲居をしていたところ旧知の商人西村松兵衛と出会い、30歳のとき再婚し、西村ツルとなり、横須賀で暮らした。」と記載されています。
東海道五十三次:Wikipediaからの抜粋
旧東海道
現在の旅館田中家
神奈川宿 台之景:横浜市神奈川区史からの抜粋
龍馬とお龍:Wikipediaからの抜粋
お龍の墓(信楽寺)
坂本龍馬。慶応2年または3年に撮影:Wikipediaからの抜粋
坂本龍馬座像。慶応3年頃撮影:Wikipediaからの抜粋
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