鎌倉:東慶寺 [鎌倉]
動画映像は下記のサイトでご覧下さい
http://ameblo.jp/takemovies/entry-10069239943.html
鎌倉時代の歴史興味から鎌倉には度々訪れていますが神社仏閣と自然も含め四季を通して鎌倉時代を探索したいと思います。今回は「縁切寺」の東慶寺です。
Wikipediaよりの抜粋ですが、鎌倉幕府第9代執権北条貞時が、父北条時宗死去の翌弘安8年(1285年)、覚山尼を開山として建立した寺である。東慶寺は現在は男僧の寺であるが、明治36年(1903年)までは代々尼寺であり、尼五山の第二位の寺であった。後醍醐天皇の皇女用堂尼が5世住持として入寺してから当寺は地名をとって「松ヶ岡御所」と称せられ、格式の高さを誇った。江戸時代には、豊臣秀頼の娘で、徳川家康の養外孫にあたる天秀尼が20世住持として入寺している。
また近世を通じて「縁切寺」「駆け込み寺」として知られていた。江戸時代、離婚請求権は夫の側にしか認められていなかったが、夫と縁を切りたい女性は、当寺で3年(のち2年)の間修行をすれば離婚が認められるという「縁切寺法」という制度があった。幕府公認の縁切寺として、江戸から多くの女性が東慶寺を目指した。ただし、女性が駆け込んできてもすぐには寺に入れず、まずは夫婦両者の言い分を聞いて、夫が離縁状(いわゆる「三下り半」)を書くことに同意すれば、すぐに離婚が成立したという。
コメント 0