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長興山紹太寺の枝垂れ桜 [神奈川県]

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天気もよく朝一番の新幹線で小田原へ、そこから箱根登山鉄道で入生田駅下車し徒歩15分で推定樹齢330年の枝垂桜です。長興山紹太寺は歴史の中で重要な役割を担った稲葉氏一族と春日局の墓がるお寺です。
Wikipediaによると「春日の局は、本名をお福といい、天正七年(1579)、明智光秀の五重臣の一人斎藤利三の末娘として生まれました。十七歳のとき、備後の国の稲葉正成の後妻となり三子を設けましたが、たまたま徳川第二代将軍秀忠の長子竹千代の乳母の募集に応じ、江戸城に住むことになりました。春日局に育てあげられた竹千代は、元和九年(1623)、徳川第三代将軍家光となりました。局とその長子稲葉正勝とを敬愛していた家光は、寛永九年(1632)、正勝を八万五千石の小田原城主に任じました。これが、小田原稲葉氏の始まりです。しかし、寛永十年(1633)、歴史的な小田原大震災で小田原城は崩壊し、その翌年寛永十一年(1634)には、当の正勝も、不幸なことに三十八歳の若さで病没してしまいました。後を継いだのは、わずか十二歳の稲葉正勝でしたが、祖母に当たる春日局の絶大な力で、正則は、三十五歳で徳川幕府の老中となりました。「長興山紹太寺」を創建したのもこの正則でこの時に植えられたと推定されています。やがて、その子稲葉正通が襲封し、稲葉氏一族は、小田原の藩政を五十年間握りました。寛永二十年(1643)、六十五歳で没した春日局をはじめ稲葉氏一族は、相模灘を遥かにのぞむ長興山山上で眠っています。 」と説明されています。見ごたえがありますよ、この桜も!

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