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川越市:喜多院 [川越市]

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江戸時代には川越藩の城下町として盛えた都市、川越市「小江戸」の別名を持ち戦災を免れた為、歴史的な街並や寺院などが多く残っている。そのなかの寺院:喜多院の映像をご覧下さい。

Wikipediaと喜多院ホームページからの抜粋ですが「喜多院 (きたいん)は、埼玉県川越市にある天台宗の寺院。山号は星野山(せいやさん)。慶長4年(1599)天海僧正(慈眼大師)は第27世の法灯を継ぎますが、慶長16年(1611)11月徳川家康公が川越を訪れたとき親しく接見しています。そして天海の意見により寺領4万8000坪及び500石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、又4代徳川家綱公のとき東照宮に200石を下すなど寺勢をふるいました。寛永15年(1638)1月の川越大火で現存の山門(寛永9年建立)を除き堂宇はすべて焼失しました。そこで3代将軍徳川家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して、客殿、書院等に当てました。家光誕生の間、春日局化粧の間があるのはそのためです。その他慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などの現存の建物を数年の間に相次いで再建し、それが今日文化財として大切に保存されています。 」と記載されています。

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喜多院_慈眼堂:Wikipediaからの抜粋
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喜多院本堂:Wikipediaからの抜粋
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境内の五百羅漢像:Wikipediaからの抜粋
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五百羅漢:Wikipediaからの抜粋
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五百羅漢:Wikipediaからの抜粋
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五百羅漢:Wikipediaからの抜粋
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五百羅漢:Wikipediaからの抜粋
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鐘楼門:Wikipediaからの抜粋
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多宝塔:Wikipediaからの抜粋
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