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世界遺産:ストーンヘンジ クレイグミラー城 ホリールード宮殿 ソールズベリー大聖堂 クレイグミラー城 [海外旅行]


最後に「空想花火大会」を追加しました。
  撮影映像日:2010年10月
ストーンヘンジ(Stonehenge)は、ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する環状列石(ストーンサークル)のこと。世界文化遺産として1986年に登録された。
円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。考古学者はこの直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。そして、それを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。
馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。
遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。
この遺跡とその周辺は、30kmほど離れたエーヴベリーの遺跡群とあわせストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群として1986年にユネスコの世界遺産に加えられた。また、登録古代モニュメントとして法的に保護されている。ストーンヘンジ自体は英国の国家遺産として保有・管理されている。周辺はナショナル・トラストが保有している。

ホリールード宮殿は、スコットランドのエディンバラにある宮殿。正式名称はホリールードハウス宮殿である。1128年にデイヴィッド1世によって建てられた寺院が前身である。15世紀から、スコットランド国王夫妻の住居として使われてきた。現在、宮殿はエリザベス2世の夏季の滞在地として使用されている。
15世紀、現在の宮殿北側にゲストハウスが建てられた。宮殿建設前にはスコットランド中世の王たちの多くがここに泊まったが、15世紀後半から宮殿は王の住居となった。ホリールードで1430年に生まれたジェームズ2世は、ここで戴冠し、結婚している。1498年から1501年まで、ジェームズ4世はホリールードを言葉通りの宮殿にすべく、新しい建築物を建てた。
宮殿内のメアリー1世の寝室
宮殿は、寺院の西側の回廊に位置し、四角形に建てられた。礼拝堂、ギャラリー、王族の居室、大ホールを含む。礼拝堂は現在の北部分にあり、女王の私室は南部分にある。宮殿の玄関と王のロッジは西側である。ジェームズ5世は、1528年から1536年の間に現在の北西塔を加えた。この塔には、かつてメアリー1世が住んでいた部屋がある。

ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral、正式名称:祝福されし聖処女マリア主教座聖堂、Cathedral Church of the Blessed Virgin Mary)は、イギリス、ソールズベリーにある大聖堂。イングランド国教会のカンタベリー大聖堂管区ソールズベリー教区の主教座聖堂である。
大聖堂は1220年に建造を開始し、1258年に大聖堂の身廊や翼廊、聖歌隊席などの主体部分が完成した。チャプター・ハウスと回廊は、1263年から1284年の間に工事が行われた。1265年に大聖堂の西ファサードができ、1330年に尖塔が完成した。全長123メートルの尖塔は後で建てられ、これはイギリスで最長の尖塔である。
ソールズベリー大聖堂は、短期間で完成したために、全体の様式が統一された。大聖堂は、当初の計画通りに建造されたイギリスでは数少ない大聖堂であり、しかも長い歴史の中で改築による変化も少なかった。パーベック大理石(英語版)を多く用いることによって、色彩の効果を大いに高めている。中世イングランドの大規模なゴシック建築である。
低い採光塔に代わり、1330年ごろ完成された交差部大塔を除いて、一貫して建てられた。様式は初期イギリス式 Early Englishでよくまとめられている傑作である。1220年から65年の45年という短い工期で、新しい敷地に新築されたものであり、当時のイギリス人の大聖堂に対する構想を自由に表現したものであるとされている。

クレイグミラー城(クレイグミラーじょう)は、スコットランド、エディンバラ近郊にある中世の城跡である。
クレイグミラーの男爵であったプレストン家が14世紀後半に建築を開始し、建設、増築工事は16世紀まで続けられた。1660年にこの城はジョン・ギルモア卿に売却され、彼によってさらなる改築が行われた。ギルモア家は18世紀にこの城を去り、この城は廃墟となった。また、この城はスコットランド女王メアリーが1566年、産後の体調不良の療養のために滞在したことで知られている。
クレイグミラー城はスコットランドに残る城壁に中でも特に保存状態が良い。中央塔を囲む尖塔とそれを守る15世紀の城壁が残存し、教会や鳩小屋の跡が確認できる。

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