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東京都:椿山荘三重塔 [東京都]

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椿山荘は、上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷があった場所で、明治になって維新の立役者、山縣有朋が私財を投じて「つばきやま」を購入し整備して「椿山荘」と命名しました場所にある三重塔の映像をご覧下さい。

HPからの抜粋ですが「山縣有朋が明治11年(1878年)に私財を投じて「つばきやま」を購入し「椿山荘」と命名します。しかし、昭和20年の空襲で、山縣公爵の記念館や一千坪の大邸宅、樹木の大半が殆ど灰燼に帰してしまいました。幸い丘の木立に囲まれた三重塔は焼失を免れ、今もその曲線を空に映しています。昭和20年の空襲で、山縣公爵の記念館や一千坪の大邸宅、樹木の大半が殆ど灰燼に帰してしまいました。藤田興業の創業者となった小川栄一は「戦後の荒廃した東京に緑のオアシスを」の思想の下に、一万有余の樹木を移植し、名園椿山荘の復興に着手します。

三重塔は広島県加茂郡入野の山上伽藍、篁山竹林寺(たかむらさんちくりんじ)に在ったものですが、長い間修理の手が行き届かず、上層部が大破したまま放置されていました。大正十四年(1925)、藤田平太郎がこれを譲り受け、解体し、椿山荘に移築しました。
創建の年代は明らかではありませんが、細部の様式が和様と禅宗様の折衷様であること、木鼻(きばな)や拳鼻(こぶしはな)、その他の繰形の特徴などから室町時代末期の作と推定されています。
東京都区内に現存する古塔は上野動物園の旧寛永寺五重塔(江戸時代)と池上の本門寺五重塔(江戸時代)、そしてこの椿山荘の三重塔だけで、貴重な文化財と申せましょう。」と記載されています。

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東京都丸の内:久保田博之の闘風 [東京都]

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東京丸の内仲通で撮影、休日の10時ごろ現場到着、お気に入りの彫刻「久保田博之制作:闘風」の映像です。
久保田博之は「1942年宮崎県に生まれ、1967年武蔵野美術大学造形学部彫刻科を卒業。1983年から個展を中心に活動、レリーフ状の作品で注目される。1986年、制作の「闘風」は第1回ロダン大賞展で彫刻の森美術館賞を受賞した作品である。女性に強い風があたり髪の毛、洋服共に流されているが、女性自身は揺らぐ事無くまっすぐに立っている事から美しさの中に強い信念を感じ取ることができる。」の記事がありましたが、何が、如何して・・の理由なんかありませんが、常に側に置いておきたい。

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東京都:柴又帝釈天の庭と屏風 [東京都]

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映画「男はつらいよ」の舞台になった柴又帝釈天を撮ってきました。柴又帝釈天の庭と屏風です。

Wikipediaからの抜粋ですが「柴又帝釈天は、東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院の通称である。正式の山号寺号は経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)である。 尚、「帝釈天」とは本来の意味では仏教の守護神である天部の一つを指すが、日本においてはこの柴又帝釈天を指す場合も多い。
江戸時代初期(17世紀前半)の寛永6年(1629年)に禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である
近代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』をはじめ多くの文芸作品に登場し、東京近郊(当時は東京ではなかった)の名所として知られた。20世紀後半以降は、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになる。」と記載されています。

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東京都:柴又帝釈天の彫刻 [東京都]

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映画「男はつらいよ」の舞台になった柴又帝釈天を撮ってきました。柴又帝釈天の彫刻(彫り物)です。

Wikipediaからの抜粋ですが「柴又帝釈天は、東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院の通称である。正式の山号寺号は経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)である。 尚、「帝釈天」とは本来の意味では仏教の守護神である天部の一つを指すが、日本においてはこの柴又帝釈天を指す場合も多い。
江戸時代初期(17世紀前半)の寛永6年(1629年)に禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である
近代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』をはじめ多くの文芸作品に登場し、東京近郊(当時は東京ではなかった)の名所として知られた。20世紀後半以降は、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになる。」と記載されています。

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東京都:柴又帝釈天の境内 [東京都]

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Wikipediaからの抜粋ですが「柴又帝釈天は、東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院の通称である。正式の山号寺号は経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)である。 尚、「帝釈天」とは本来の意味では仏教の守護神である天部の一つを指すが、日本においてはこの柴又帝釈天を指す場合も多い。
江戸時代初期(17世紀前半)の寛永6年(1629年)に禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である。近代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』をはじめ多くの文芸作品に登場し、東京近郊(当時は東京ではなかった)の名所として知られた。20世紀後半以降は、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになる。」と記載されています。

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帝釈堂(2005年撮影):Wikipediaからの抜粋
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東京都:旧岩崎邸庭園 [東京都]

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都立公園で三菱財閥岩崎家の旧邸宅をご覧ください。

Wikipediaからの抜粋ですが「旧岩崎邸庭園(きゅういわさきていていえん)は、東京都台東区池之端にある都立公園である。三菱財閥岩崎家の旧邸宅を公園として整備したもので、園内の歴史的建造物は国の重要文化財に指定されている。
1896年(明治29年)に竣工し、岩崎家の迎賓館として用いられた木造下見板張りの西洋館。お雇い外国人として来日し、独立後は三菱・岩崎家の仕事を数多く手がけたジョサイア・コンドルの設計である。
大名庭園の形式を一部踏襲する庭は、本邸建築に際して池を埋め立てて広大な芝庭とし、庭石・灯篭・築山などを配した和洋併置式の庭園として改修された。現在の庭園は国有化以降の用地転用・売却により大幅に削り取られているが、今も残る雪見灯篭や亭跡の石敷が往時の姿を偲ばせている。」と記載されています。

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撞球室:Wikipediaからの抜粋
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東京都:旧古河庭園 [東京都]

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都立公園でバラで知られている旧古河庭園を撮ってきました。外観はルネサンス調と云われている明治時代の洋館です。

Wikipediaからの抜粋ですが「旧古河庭園は、東京都北区にある都立公園である。1917年(大正6年)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形に整えられた。現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。国指定名勝。
明治期の当地は陸奥宗光の邸宅であったが、宗光の次男潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子となったため、古河家に所有が移った。武蔵野台地の斜面を巧みに利用した造りとなっており、台地上に洋館を、斜面上に洋風庭園、台地下の低地部に日本庭園が配置されている。」と記載されています。

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東京都:東京大学赤門(旧加賀屋敷御守殿門) [東京都]

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加賀藩13代藩主前田斉泰は、文政10年(1827)に11代将軍徳川家斉の娘溶姫を正室に迎えた。当時の慣わしとして、三位以上の大名が将軍家から妻を迎える際には、朱塗りの門を建てた。
往時の原型を残す唯一の門である。

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東京大学HPより抜粋
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東京大学HPより抜粋
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東京大学HPより抜粋
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東京都:円融寺  [東京都]

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東京の目黒区にある木造建築では都内最古で、国の重要文化財に指定されています釈迦堂がある円融寺を撮ってきました。

Wikipediaからの抜粋ですが「かつては、妙光山法服寺と称し、天台宗の古刹であった。寺伝では仁寿3年(853年)に天台宗の円仁(慈覚大師)が法服寺を建立したという。弘安6年(1283年)に日蓮の弟子の日源により、日蓮宗に改宗し、妙光山法華寺と改称した。日源の事績は、境内にある日源上人五重石塔に刻まれている。中世から近世にかけては吉良氏や徳川氏の外護を受け、末寺75か寺を数えたが、日蓮宗不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698年)改宗を余儀なくされ、天台宗寺院となった。不受不施派とは、法華経信者以外からは施しを受けず、与えずという一派で、日蓮宗本山の身延山久遠寺と対立し、江戸幕府からも弾圧された。天保5年(1834年)に経王山円融寺と改称した。」と記載されています。

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東京都:青松寺 [東京都]

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東京のど真ん中にある青松寺を撮ってきました。

Wikipediaからの抜粋ですが「青松寺(せいしょうじ)は、東京都港区愛宕二丁目にある曹洞宗の寺院。山号は萬年山(ばんねんざん)。江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建。当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。

江戸時代には芸州(広島県)の浅野家、長州(山口県)の毛利家、土佐(高知県)の山内家、越前(福井県)勝山の小笠原家、石州(島根県)津和野の亀井家、越前敦賀の酒井家など、多くの大名の菩提寺として栄えた。」と記載されています。

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