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ルーブル美術館:ミロのヴィーナス [美術館]

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2010/01/27ルーブル美術館で撮影してきた「ミロのヴィーナス」像のyoutubeの映像をご覧下さい。



http://youtu.be/1MLvERVtFIo
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純白のサルスベリ [花アルバム]

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我家のサルスベリは紅色ですが近所の庭に純白のサルスベリを発見(?)その映像です。

Wikipediaによると「サルスベリ(百日紅=ヒャクジツコウ)は中国南部原産のミソハギ科の落葉中高木。8月頃咲く紅または白色の花が美しく、耐病性もあり、必要以上に大きくならないため、しばしば好んで庭や公園などに植えられる。」と記載されています。

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岡山市:吉備津神社 [岡山県]

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桃太郎のモデルになったと言われる吉備津彦命を祀る神社の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区にある神社である。式内社(名神大)、備中国一宮で、旧社格は官幣中社。備中国と備前国の境にある吉備中山の麓に鎮座する。元々は吉備国の一宮であったが、吉備国が三国に分割されたときには備中国の一宮となり、備前国・備後国に分霊が勧請されて各国の一宮となっている。備前国一宮の吉備津彦神社は同じ吉備中山の麓にある。

社伝によれば、吉備津彦は吉備中山の麓に茅葺宮を造って住み、281歳で亡くなって中山山頂に葬られた。吉備津彦の5代の子孫の加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営して吉備津彦を祀ったのが当社の始まりと伝える。現在ある比翼入母屋造の社殿は足利義満が造営したもので、国宝になっている。」と記載されています。

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回廊:Wikipediaからの抜粋
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境内:Wikipediaからの抜粋
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青森県弘前市:長勝寺 [青森県]

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弘前藩歴代の藩主やその奥方の霊屋がある長勝寺の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「長勝寺(ちょうしょうじ)は、青森県弘前市にある曹洞宗の寺院。山号は大平山。本尊は釈迦如来。この寺は、1528年(享禄元年)大浦盛信が父光信の菩提を弔うため、菊仙梵寿を開山として種里(現在の西津軽郡鯵ヶ沢町種里町)に創建された寺である。寺号は光信の法号による。その後、賀田大浦(現在の弘前市賀田字大浦)に移され、大浦氏が堀越城に移るにあたり、現在地に移された。江戸時代にはこの地域における曹洞宗の僧録所であった。」と記載されています。


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伽藍 六角堂:Wikipediaからの抜粋
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三門:Wikipediaからの抜粋
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津軽家霊屋:弘前市HPからの抜粋
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岡山市:後楽園(2) [岡山県]

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日本三名園のひとつ岡山後楽園の映像を三分割して投稿しますのでご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「後楽園(こうらくえん)は岡山県岡山市北区後楽園1-5にある日本庭園(大名庭園)で日本三名園のひとつである。江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されている。後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、1687年(貞享4年)に着工し14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成した。岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいた。1871年(明治4年)、園内を一般開放するにあたって、これを後楽園と改めた。」と記載されています。

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『幻想庭園』:Wikipediaからの抜粋
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池田綱政:Wikipediaからの抜粋
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