大津市:義仲寺 [大津市]
京都のお隣さん大津市の京阪石山坂本線一日乗り放題キップを利用し撮影してきた映像をご覧下さい。
木曽義仲が眠る義仲寺です。
Wikipediaからの抜粋ですが「義仲寺(ぎちゅうじ)は、滋賀県大津市馬場にある単立(天台宗系)の寺院。山号は朝日山。本尊は聖観音菩薩。この寺の創建については不詳であるが、源義仲(木曾義仲)の死後、愛妾であった巴御前が墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる。寺は別名、巴寺、無名庵、木曽塚、木曽寺、また義仲寺と呼ばれたという記述が、すでに鎌倉時代後期の文書にみられるという。
俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南のひとびとを愛し、たびたび滞在した。無名庵で句会も盛んに行われた。大坂で亡くなった芭蕉だが、遺志により義仲墓の横に葬られた。」と記載されています。
木曾義仲公墓
芭蕉翁墓
巴塚
巴御前出陣図:Wikipediaからの抜粋
木曾義仲像(徳音寺所蔵):Wikipediaからの抜粋
与謝蕪村による松尾芭蕉像:Wikipediaからの抜粋
大津市:瀬田の唐橋 [大津市]
京都のお隣さん大津市の京阪石山坂本線一日乗り放題キップを利用し撮影してきた映像をご覧下さい。
瀬田の唐橋です。
Wikipediaからの抜粋ですが「瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋。全長260m。滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。 勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われる。
宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされ、歌川広重の『近江八景』のうち『瀬田夕照』はこの橋の風景を描いたものである。琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかない。瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。
松尾芭蕉の句に「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」があります。
」と記載されています。
瀬田の唐橋:Wikipediaからの抜粋
勢多夕照:Wikipediaからの抜粋
東京都:上野公園の秋と国立西洋美術館のモニュメント [東京都]
上野公園(一部)の秋風景と国立西洋美術館ロダンの彫刻を撮ってきましたのでその映像をご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン, 1840年11月12日 - 1917年11月17日)は、フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称される。代表作に『地獄の門』、その一部を抜き出した『考える人』など。
ロダンは、パリの下町で警視庁の書記の息子として生まれる。14歳で工芸実技学校に入学。良き理解者であった2歳年長の姉・マリアの援助により帝国素描・算数専門学校に入学して美術を学ぶ。1875年、イタリア旅行に出て、ミケランジェロの作品を見て強い感銘を受け、1877年に長い沈黙を破って『青銅時代』を出展する。1880年、ロダンの元に国立美術館を建てるので、そのモニュメントを作って欲しいとの依頼が来た。そのテーマとしてロダンが選んだのがダンテの『神曲』地獄篇に登場する『地獄の門』である。1889年、『地獄の門』を覗き込む男を一つの彫刻として発表した。『考える人』と言う名はこの像を鋳造したリュディエがつけたものである。」と記載されています。
オーギュスト・ロダン「カレーの市民」
オーギュスト・ロダン「考える人」
オーギュスト・ロダン「弓をひくヘラクレス」
オーギュスト・ロダン「アダム」
オーギュスト・ロダン「エヴァ」
オーギュスト・ロダン「地獄の門」
オーギュスト・ロダン「接吻」:Wikipediaからの抜粋
オーギュスト・ロダン「地獄の門」:Wikipediaからの抜粋
オーギュスト・ロダン:Wikipediaからの抜粋
京都:渡月橋と嵐山の秋 [京都]
京都の紅葉を撮りの目的の一つ渡月橋と嵐山の紅葉映像をご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「渡月橋(とげつきょう)は、京都府京都市の桂川にかかる橋である。橋北側は右京区、南側は西京区である。北から渡月橋を渡ると、中之島(嵯峨中ノ島町)を経て嵐山の麓に至る。承和年間(834-848)に僧、道昌が架橋したのが始まりとされ、現在の位置には、後年に角倉了以が架けたとされる。現在の橋は1934年(昭和9年)完成。橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製だが、欄干部分は景勝地である嵐山の風
景にとけ込むよう木造となっている。
嵐山(あらしやま)は京都府京都市の観光地。国の史跡および名勝に指定されている。本来地名としては西京区(桂川の右岸)を指し、左岸は右京区嵯峨である。嵐山は桜や紅葉の名所である。京都市街の西に位置し、平安時代に貴族の別荘地となって以来、京都の代表的な観光地となっている」と記載されています。
Wikipediaからの抜粋
Wikipediaからの抜粋
Wikipediaからの抜粋
Wikipediaからの抜粋
東京都:迎賓館 [東京都]
「迎賓館赤坂離宮の前庭、一般公開 天皇即位20年記念」の映像をご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「迎賓館(げいひんかん)とは、外国の国家元首や首脳などの国賓を迎え入れたときに、宿泊等の接遇を行う施設である。皇居宮殿での歓迎晩餐会の答礼など、外交儀礼のための接宴として、天皇や皇族などが臨席し晩餐会が行なわれることもある。日本の迎賓館は現在、東京都港区赤坂の迎賓館(赤坂迎賓館)と京都府京都市上京区の京都御苑内に京都迎賓館があり、内閣府の施設等機関である。
1962年に当時の内閣総理大臣池田勇人の発意により、新たに迎賓施設を整備する方針が閣議決定された。これを受けて、池田政権時代及びその後を継いだ佐藤榮作政権において、政府部内で検討を重ねた結果、旧赤坂離宮を改修し、これを迎賓施設とすることが1967年に決定された。
5年の期間と108億円(工事費101億円、家具等製作費7億円)の費用をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により1974年(昭和49年)3月に迎賓施設として改修された。
新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、第38代アメリカ合衆国大統領のジェラルド・ルドルフ・フォード・ジュニアである。」と記載されています。
主庭:Wikipediaからの抜粋
赤坂迎賓館:Wikipediaからの抜粋
京都:常寂光寺多宝塔と紅葉 [京都]
京都の紅葉を撮りの目的の一つ「常寂光寺」の多宝塔と紅葉映像をご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は京都府京都市の嵯峨野にある日蓮宗の仏教寺院。山号は小倉山。百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれる。その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる。平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた。」と記載されています。
鐘楼:Wikipediaからの抜粋
多宝塔(重要文化財):Wikipediaからの抜粋
多宝塔と紅葉:Wikipediaからの抜粋
京都:光明寺の紅葉 [京都]
京都の紅葉を撮りの目的の一つ「京都府長岡京市光明寺」の紅葉映像をご覧下さい。
光明寺HPからの抜粋ですが「西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷にあります。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地であります。
法然上人が24歳の時、奈良へ学匠となるべき師を求めて叡山を降りられたとき、この粟生野の里、当時村役の高橋茂右衛門宅に一夜の宿をお借りになりました。その時、茂右衛門夫婦は、上人の真剣な求法のお気持ちと、広く大衆が救われる道を求めての旅である事を聞き、「まことの教えを見いだされましたならば、先ず最初に私共にその尊いみ教えをお説き下さいませ」とお願いいたしました。
時は流れ承安五年(1175年)3月、ついに浄土宗を開かれた上人は20年間のお約束の通り、この粟生野の地で初めて念仏の法門を説かれたのです。」と記載されています。
エンジェルトランペット [花アルバム]
公園や庭先で観かける大きく下向きに咲いているエンジェルトランペットの映像をご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「キダチチョウセンアサガオ属ナス科の属のひとつで、低木または高木である。学名のカタカナ表記で、ブルグマンシア属と呼ぶこともある。また、園芸名でエンジェルストランペット、エンジェルトランペットと呼ばれることが多い。花言葉は、愛敬、偽りの魅力、変装、愛嬌。春から秋にかけて、下向きに垂れ下がった花をつける。つぼみには卵形、球形、紡錘形などがあり、花はつぼみから飛び出すような形で咲く。花弁の先端は、5つに分かれ反り返る。」と記載されています。
キダチチョウセンアサガオ:Wikipediaからの抜粋
謹賀新年
謹んで新春のお慶びを申し上げます
皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします
本年も宜しくお願い申し上げます
平成二十五年 元旦