鎌倉:妙本寺 [鎌倉]
鎌倉幕府内部で起こった政変で2代将軍源頼家の外戚として権勢を握った比企能員(ひきよしかず)とその一族が、北条時政の謀略によって滅ぼされた。その比企一族の菩提寺である妙本寺の映像をご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「妙本寺(みょうほんじ)は神奈川県鎌倉市大町にある日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は長興山(ちょうこうざん)で文応元年(1260年)の創建。開基は比企能本、開山は日朗、十界曼荼羅を本尊とする。
現在妙本寺のある谷戸は、現在は比企ヶ谷(ひきがやつ)と呼ばれ、鎌倉時代には比企能員(よしかず)一族の屋敷があった。比企能員は源頼朝の乳母、比企尼の養子であり、1180年以後は頼朝の信任を得て、御家人となった。源平合戦から奥州合戦まで数多くの功績があり、後に能員の妻は源頼家の乳母となり、その娘、若狭局(わかさのつぼね)は頼家の妻となり、頼家の子、一幡(いちまん)を生むなど、源氏とかなり深い関係を持つようになる。その後比企能員の変(ひきよしかずのへん)は鎌倉時代初期の建仁3年(1203年)9月2日、鎌倉幕府内部で起こった政変である。2代将軍源頼家の外戚として権勢を握った比企能員とその一族が、北条時政の謀略によって滅ぼされた。」と記載されています。
祖師堂:Wikipediaからの抜粋