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青森県:青函連絡船八甲田丸 [青森県]

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学生時代、年2回北海道に帰郷るときに数回利用した懐かしい思い出の青函連絡船、青森市に保存されている八甲田丸の映像です。

Wikipediaからの抜粋ですが「青函連絡船(せいかんれんらくせん)は、1908年から1988年までの間、青森県の青森駅と北海道の函館駅との間を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)・北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道連絡船である。航路の名称は青函航路、営業キロ上の距離は、113.0km(擬制キロ)で、他の国鉄連絡船とは異なり、外洋航路扱いとされていた。青函連絡船は旅客に加え、船尾より船腹に鉄道車両をそのまま積み込んで津軽海峡を越える鉄道連絡船であり、言うなれば「海の上の鉄路」であった。

青函航路は、本州・北海道間の一般的な移動手段が鉄道であった時代には、メインルートの一部を担ってい。青森発着の特別急行列車(「はつかり」「みちのく」「白鳥」など)や夜行列車(特急「ゆうづる」、急行「八甲田」など)、函館発着の優等列車(特急「北斗」、「北海」、「おおとり」、急行「宗谷」、「ニセコ」など)や夜行普通列車は、青函連絡船との接続を重視したダイヤを組み、函館では深夜・早朝に発着する例も見られたが、札幌で時間を有効に使えることから、利用率はかなり高かった。

列車が青森駅や函館駅に到着した時には、連絡船乗り場へ向かう乗客でプラットホームや跨線橋がごった返す様子もみられ、荷物を抱えた乗客が乗り場へ競って駆け出すことから「桟橋マラソン」と呼ばれる光景を見せていた。

本州・北海道を結ぶ動脈の役割を担った青函連絡船は、1973年(昭和48年)に利用者のピークを迎えたが、航空機の利用の増加、国鉄の鉄道利用客の減少などの要因により、1974年以後は利用が減少傾向に転じ、歯止めは利かずに末期には閑散とした状況を呈した。1988年3月13日に青函トンネルが開通するのに伴い、同日をもって青函連絡船は廃止され、本州と北海道との連絡は青函トンネルを走る快速「海峡」や、新たに設定された寝台特急北斗星などにゆだねられた。

青函航路の青森発最終便となった青函連絡船八甲田丸をそのまま青函連絡船メモリアルシップとして保存されています。」と記載されています。

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車両搬入口:Wikipediaからの抜粋
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操舵室:Wikipediaからの抜粋
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