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北海道:函館市の五稜郭 [北海道]

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司馬遼太郎の長編、歴史小説である新選組副長土方歳三の生涯を描た「燃えよ剣」の最後の晴れ舞台、函館市の五稜郭の映像です。

Wikipediaからの抜粋ですが「五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に現在の北海道函館市に建造された城郭および当時日本で建造された星形の城郭の通称。長野県佐久市の龍岡城(未完成)も五稜郭として知られるが、一般的に「五稜郭」といえば函館のそれを指す。国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている日米和親条約締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するために江戸幕府征夷大将軍・徳川家定の命により築造された

箱館戦争(はこだてせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、戊辰戦争の局面のひとつで、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦いである。旧幕府軍の蝦夷地での根拠地から五稜郭の戦いとも呼ばれる。」と記載されています。

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土方歳三:Wikipediaからの抜粋
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亀田役所土塁(五稜郭タワーから):Wikipediaからの抜粋
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五稜郭本陣:Wikipediaからの抜粋
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箱館戦争を描いた錦絵:Wikipediaからの抜粋
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キキョウ [花アルバム]

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大船フラワーセンターでのキキョウの映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「キキョウ(桔梗)はキキョウ科の多年性草本植物。山野の日当たりの良い所に育つ。日本全土、朝鮮半島、中国、東シベリアに分布する。万葉集のなかで秋の七草と歌われている「朝貌の花」は本種であると言われている。つぼみの状態では花びら同士が風船のようにぴたりとつながっている。そのため "balloon flower" という英名を持つ。つぼみが徐々に緑から青紫にかわり裂けて6-9月に星型の花を咲かせる。」と記載されています。

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つぼみ:Wikipediaからの抜粋
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北海道:函館市の夜景 [北海道]

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日本三大夜景とか世界三大夜景・・・で紹介されている函館山から市内を見おろす夜景の映像をご覧下さい。夜景は冬季で晴れた夜がチャンスですが今回は!

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香港の夜景:Wikipediaからの抜粋
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函館市の夜景:Wikipediaからの抜粋
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摩耶山掬星台より:Wikipediaからの抜粋
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ベニスジヤマユリ [花アルバム]

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2009年7月上旬撮影、大船フラワーセンターでのベニスジヤマユリの映像をご覧下さい。

HPからの抜粋ですが「自生している山百合の変種で、花弁に鮮やかな赤い筋が入る美しい百合です。10年に一度の割合で発見される非常に貴重なものです。当園では組織培養により保存育成しており、県内では他に見ることはできません。」と記載されています。

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京都:妙心寺退蔵院



2008年4月上旬撮影、狩野元信の作と伝わる枯山水の優美な庭園の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「退蔵院(たいぞういん)は京都市右京区花園にある臨済宗大本山妙心寺の塔頭(たっちゅう)である。初期水墨画の代表作である国宝・瓢鮎図(ひょうねんず)を所蔵することで知られる。応永11年(1404年)に越前の豪族・波多野重通(はたのしげみち)が妙心寺第三世・無因宗因(むいんそういん)を開山として千本通松原に創建し、日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)により妙心寺山内に移される。一時期衰退するが、後奈良天皇の帰依が深かった亀年禅愉(きねんぜんゆ)により中興される。狩野元信の作と伝わる枯山水の優美な庭園で、枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など多数の庭石が豪快に組まれている」と記載されています。

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妙心寺 山門:Wikipediaからの抜粋
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妙心寺 大庫裏:Wikipediaからの抜粋
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妙心寺 勅使門:Wikipediaからの抜粋
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妙心寺 仏殿・法堂:Wikipediaからの抜粋
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妙心寺:Wikipediaからの抜粋
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妙心寺:Wikipediaからの抜粋
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退蔵院 元信の庭:Wikipediaからの抜粋
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退蔵院 余香苑:Wikipediaからの抜粋
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ダリア [花アルバム]

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大船フラワーセンターのダリア映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「ダリアは、キク科ダリア属(Dahlia)の多年生草本植物の総称。和名はテンジクボタン。夏から秋にかけて開花し、大きな花輪と色鮮やかな花色と咲き方が特徴。花卉として栽培される。日本には1842年(天保13年)にオランダ人によってもたらされた。花の形がボタンに似ているため、テンジクボタン天竺牡丹)と呼ばれた。ダリアは18世紀にメキシコからスペインにもたらされていらい、長い間をかけて品種改良が行われて、多種多様な、花色、花容の品種が作り出されてきた。」と記載されています。

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京都:青蓮院 [京都]

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知恩院北隣にあり見過ごされそうな青蓮院の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「青蓮院 (しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺院。「青蓮院門跡」(-もんぜき)とも称する。山号はなし。開基(創立者)は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である。青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院とされる。「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王(天皇の皇子や伏見宮家などの皇族の男子で出家後に親王宣下を受けた者)が門主(住職)を務め、宮門跡寺院として高い格式を誇ってきた。江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」の称もある。日本三不動[1]のひとつ「青不動」のある寺としても知られる。」と記載されています。

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一文字手水鉢(伝豊臣秀吉寄進):Wikipediaからの抜粋
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四脚門:Wikipediaからの抜粋
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植髪堂:Wikipediaからの抜粋
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相阿弥の庭:Wikipediaからの抜粋
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大玄関:Wikipediaからの抜粋
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宸殿:Wikipediaからの抜粋
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合歓の木 [花アルバム]

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近場の公園にあった合歓の木の映像です。

Wikipediaによると「ネムノキ(合歓木)はネムノキ科(広い意味でマメ科)の落葉高木。別名、ネム、ネブ。イラン・インドから東南アジアを経て日本の東北地方北部まで自生する。陽樹であり、荒れ地に最初に侵入するパイオニア的樹木である。河原などで見ることも多い。また、観賞用に栽培もされることもある。」と記載されています。

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ネムノキ:Wikipediaからの抜粋
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青森県:青函連絡船八甲田丸 [青森県]

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学生時代、年2回北海道に帰郷るときに数回利用した懐かしい思い出の青函連絡船、青森市に保存されている八甲田丸の映像です。

Wikipediaからの抜粋ですが「青函連絡船(せいかんれんらくせん)は、1908年から1988年までの間、青森県の青森駅と北海道の函館駅との間を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)・北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道連絡船である。航路の名称は青函航路、営業キロ上の距離は、113.0km(擬制キロ)で、他の国鉄連絡船とは異なり、外洋航路扱いとされていた。青函連絡船は旅客に加え、船尾より船腹に鉄道車両をそのまま積み込んで津軽海峡を越える鉄道連絡船であり、言うなれば「海の上の鉄路」であった。

青函航路は、本州・北海道間の一般的な移動手段が鉄道であった時代には、メインルートの一部を担ってい。青森発着の特別急行列車(「はつかり」「みちのく」「白鳥」など)や夜行列車(特急「ゆうづる」、急行「八甲田」など)、函館発着の優等列車(特急「北斗」、「北海」、「おおとり」、急行「宗谷」、「ニセコ」など)や夜行普通列車は、青函連絡船との接続を重視したダイヤを組み、函館では深夜・早朝に発着する例も見られたが、札幌で時間を有効に使えることから、利用率はかなり高かった。

列車が青森駅や函館駅に到着した時には、連絡船乗り場へ向かう乗客でプラットホームや跨線橋がごった返す様子もみられ、荷物を抱えた乗客が乗り場へ競って駆け出すことから「桟橋マラソン」と呼ばれる光景を見せていた。

本州・北海道を結ぶ動脈の役割を担った青函連絡船は、1973年(昭和48年)に利用者のピークを迎えたが、航空機の利用の増加、国鉄の鉄道利用客の減少などの要因により、1974年以後は利用が減少傾向に転じ、歯止めは利かずに末期には閑散とした状況を呈した。1988年3月13日に青函トンネルが開通するのに伴い、同日をもって青函連絡船は廃止され、本州と北海道との連絡は青函トンネルを走る快速「海峡」や、新たに設定された寝台特急北斗星などにゆだねられた。

青函航路の青森発最終便となった青函連絡船八甲田丸をそのまま青函連絡船メモリアルシップとして保存されています。」と記載されています。

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車両搬入口:Wikipediaからの抜粋
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操舵室:Wikipediaからの抜粋
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カワラナデシコ [花アルバム]

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大船フラワーセンターのカワラナデシコ映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「カワラナデシコ(河原撫子)とは、ナデシコ科ナデシコ属の多年草。秋の七草の1つであるナデシコ(撫子)は本(変)種のことを指す。別名(異名)はナデシコ、ヤマトナデシコ。
日本では本州以西四国、九州に広く分布するほか、沖縄諸島(久米島・渡名喜島)に少数が生息する。日本国外では朝鮮、中国、台湾に分布する。主に日当たりの良い草原や河原に生育するが、路傍や山地の斜面、海岸の砂浜等でも生育する。秋の七草の1つであることから分かるように観賞用として利用され、園芸・ガーデニングにも用いられる。また、江戸時代には変わり花の栽培が盛んで、古典園芸植物の一つともなっていたが、現在ではほとんど見られなくなった。また、薬用としても利用されており、種子を乾燥したものを瞿麦子(くばくし)と言い、利尿作用や通経作用がある。」と記載されています。

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カワラナデシコ:Wikipediaからの抜粋
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