横浜市:中華街媽祖廟(まそびょう)の彫物 [横浜市]
横浜中華街の正月イベントを撮りたくて訪問しましたが時間が合わず残念でしたが撮れませんでしたが。
媽祖廟のHPからの抜粋ですが「”天上の聖母”は一般的に”媽祖”と呼ばれています。 中国の歴史上、実際に存在した人であり、「林氏族譜」によれば、媽祖は宋の太祖の建隆元年(960年)3月23日に生まれ、一ヶ月たっても泣き声をあげないので、<林黙娘>と名づけられました。その家系は、唐代の<田九牧>(一族9人の地方長官)の6番目にあたる邵州刺史林蘊の7代目の子孫であって、福建における林氏の始祖である林禄公23代目の子孫に当たります・・・・・・・小さい時から才知に長け、10歳で朝晩欠かさず念仏を唱え始めました・・・・・・・むしろに乗って海を渡り、雲に乗って島を巡回するので、みんなから敬意をこめて<通玄の霊女>と呼ばれるようになりました・・・・・・修行を終え、ある晴れた日に天にのぼった。28才の時のことです。亡くなってから、彼女が紅い衣装をつけ、海上を飛んで、難民を救助している姿が目撃されるようになりました・・・・・媽祖は人間から神様となり、海の神様として祀られています。船主は船の中に神棚を設けて祀っていました。のちには海や航海の安全だけでなく、自然災害やコレラ等の疫病の発生や、盗賊戦争の不安にも、彼女を祈り、安寧を祈願するようになりました。・・・」と記述されています。
横浜市:三溪園の臨春閣 [横浜市]
国の名勝でもある横浜市三溪園を映像です。
Wikipediaからの抜粋ですが「三渓園(さんけいえん)は、横浜市中区本牧三之谷にある庭園で、敷地面積は17.5ha、実業家で茶人の原富太郎(号:三渓、1868年-1939年)によって作られた。2006年11月17日に国の名勝に指定された。三渓園は、国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都5棟、神奈川2棟、和歌山3棟、岐阜1棟、東京1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有する。原富太郎は岐阜県出身の実業家で、横浜の原商店に養子として入り、生糸貿易で財を成した。原は事業のかたわら仏画、茶道具などの古美術に関心を持って収集した。平安時代仏画の代表作である「孔雀明王像」(国宝、東京国立博物館蔵)をはじめ、国宝級の美術品を多数所蔵し、日本の美術コレクターとしては、益田孝(鈍翁)と並び称される存在であった。」と記載されています。
今回は、「1649年(慶安2年)に建築された臨春閣で重要文化財に指定されています。もとは、紀州徳川家初代徳川頼宣が夏の別荘として、現在の和歌山県岩出市に建てたものです。 1906年(明治39年)、三溪の手に渡り、1915年(大正4年)から1917年(大正6年)にかけて園内に再建されました。 第一屋、第二屋、第三屋で構成され、襖絵は狩野探幽、狩野安信などによって描かれています。」
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臨春閣 :Wikipediaからの抜粋
横浜市:中華街のメニュー [横浜市]
中華街のメニューを無作為に撮ってきました。お出かけの時はこのブログで何を食するか参考にして下さい
Wikipediaからの抜粋ですが「横浜中華街(よこはまちゅうかがい)は神奈川県横浜市中区山下町一帯に所在するチャイナタウン(中華街)。140年の歴史をもつ。以前は横浜南京町あるいは単に南京町と呼ばれていた。華僑の出身地は広東省が比較的多いが、各地に分散している。上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、各路地には、当地の出身者が多い。所在地である中区の中国人人口は6000人を超える。これは同区で登録されている外国人の約4割にあたる。約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている。日本では、神戸南京町や長崎新地中華街とともに三大中華街とされる。」と記載されています。
横浜市:色鮮やかな中国建築様式の會芳亭 [横浜市]
中華街の中にある山下町公園は子供達や街の人、お客様の憩いの場として賑わっています。 特に建物のお気に入りの装飾品を撮ってきましたのでご覧下さい。
2006年6月20日、山下町公園(横浜市中区山下町135番地)がリニューアルオープン、山下町町内会の神事終了後、「會芳亭」の落成式が行われました。見事に晴れわたった青空の元、色鮮やかな中国建築様式の會芳亭がシンボルツリー・けやきの緑とともに堂々たる姿を披露しました。(會芳亭落成式パンフレットより )
會芳亭については「改修を終えた山下町公園の所在地、山下町135番地は中華街の歴史を語る上で、欠くことのできない大切な場所である。「幕末・明治の初年に横浜で暮らす中国人は1000人あまり。中国は清朝の時代、日本と清朝中国(清国)は、明治4(1871)年に日清修好条規を締結し、それにもとづいて清国から公使・領事が派遣されていた。横浜の清国領事は、横浜に暮らす中国人だけでなく、築地居留地、函館居留地に暮らす中国人も管轄した。その後1911年の辛亥革命で清朝中国は倒れ、中華民国が生まれる。辛亥革命の主導者、孫文は日本亡命中に横浜に滞在しており、横浜華僑は革命の成功に貢献している。」など等、歴史的にも重要な役割を担った場所の様です。」と記載されていました。
横浜市:山下公園 [横浜市]
横浜市を代表する公園です。
Wikipediaからの抜粋ですが「山下公園(やましたこうえん)は、神奈川県横浜市中区山下町にある公園である。所在地は神奈川県横浜市中区山下町279。 横浜市助役であった楢岡徹らの尽力で、関東大震災の瓦礫を使って海を埋め立てて1930年(昭和5年)3月15日に開園した。面積は74、121平方メートルで横浜市は「日本最初の臨海公園」と称している。」と記載されています。
サンディエゴから寄贈された水の女神像:Wikipediaからの抜粋
山下公園モニュメント:Wikipediaからの抜粋
横浜市:称名寺 [横浜市]
鎌倉市でなく横浜市金沢区にある鎌倉時代に重要な役割を担っていたと思われる称名寺を撮ってきましたのでご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「称名寺(しょうみょうじ)は、神奈川県横浜市金沢区金沢町にある真言律宗別格本山の寺院。山号は金沢山。本尊は弥勒菩薩。新四国八十八箇所霊場七十五番。
北条氏の一族である金沢(かねさわ)北条氏の祖、北条実時(1224年-1276年)が開基した。
境内は国の史跡に指定され、赤門、仁王門、金堂などがある。金堂前の浄土式庭園は、1320年(元応2年)、金沢氏3代貞顕の代に整備されたもので、1987年(昭和62年)復元された。浄土式庭園とは、浄土曼荼羅に基づいて配置された庭園のことで、平安時代末期に盛んにつくられた。」と記載されています。
北条實時公御廟
庭園(2004年撮影):Wikipediaからの抜粋
Wikipediaからの抜粋
横浜三塔:キングの塔 [横浜市]
横浜の歴史をかたる横浜三塔の映像です。三塔が一枚の画像に写しだせる横浜大桟橋からの撮影です。
二回目は重厚な感じのキングの塔ですが、神奈川県庁舎の屋上からの風景も合わせてご覧下さい。
横浜市HPとWikipediaからの抜粋ですが「神奈川県庁舎(かながわけんちょうしゃ)とは、神奈川県横浜市中区にある、広域自治体たる神奈川県の役所(県庁)の庁舎。本庁舎・新庁舎・分庁舎・第二分庁舎からなり、一部部署は近隣の民間ビルに入居している。
関東大震災で焼失した旧県庁舎の再建にあたり、公募で当選した小尾嘉郎の案をもとに、神奈川県内務部により設計された。昭和初期に流行した帝冠様式が取り入れられている。1928年に完成し、塔屋は横浜三塔の「キングの塔」として親しまれている
Wikipediaからの抜粋
横浜大さん橋 [横浜市]
過去の画像も含めて横浜大さん橋を紹介します。横浜大さん橋に接岸されているクイーンエリザベス二世号、サファイヤ・プリンセスと飛鳥の豪華客船の画像もご覧下さい。
Wikipediaからの抜粋ですが「大さん橋(おおさんばし、大桟橋)は、神奈川県横浜市にある、横浜港大さん橋ふ頭及び横浜港大さん橋国際客船ターミナルの通称。横浜港における客船の発着場であるとともに、横浜港のシンボル的な存在として、観光地としても知られている。横浜港開港後、本格的な港湾施設として、1889年から1894年にかけて作られた。これは460ほどの鉄製の桟橋で、イギリス人技師パーマーの設計による。横浜では「メリケン波止場」とも呼ばれ、長い間横浜港の中心的な設備として活躍した。
FIFAワールドカップ日韓大会開催で国内外から訪れる観光客に誇れる立派な国際客船ターミナルが必要とされて2002年に現在の施設が建設された。」と記載されています。
クイーンエリザベス二世号
サファイヤ・プリンセス
飛鳥
横浜三塔:ジャックの塔 [横浜市]
横浜の歴史をかたる横浜三塔の映像です。三塔が一枚の画像に写しだせる横浜大桟橋からの撮影です。一回目は見映えのするジャックの塔をご覧下さい。
横浜市HPとWikipediaからの抜粋ですが「キングの塔(神奈川県庁本庁舎)・クイーンの塔(横浜税関)・ジャックの塔(横浜市開港記念会館)は、地元では「横浜三塔」と呼ばれ、横浜港のシンボルとして長年市民に親しまれている。 今となっては周りにビルが建ち目立ちにくくなってしまったが、建った当時は他に目立つ物はなく、横浜港に入港してくる船の目印になっていた。塔の愛称は、入港する船の外国人船員達がトランプのカードに例えて名づけたと言われている。また、みなとみらい地区の都市計画にも「ジャックモール」・「クイーン軸」(クイーンズスクエア)・「キング軸」と、これらの名前が使われている。
ジャックの塔の横浜市開港記念会館(よこはましかいこうきねんかいかん)は神奈川県横浜市中区の関内地区にある歴史的建造物。公会堂の用途で建設され、現在も横浜市中区の公会堂として活用されている。 大阪中之島公会堂などとともに大正期の公会堂建築のなかでは有名な建築物のひとつである。 設計原案ならびに基本構造設計は福田重義と山田七五郎がおこなった。 建築当初の建築様式は、辰野式フリークラシックとよばれる様式で、震災後、これに構造補強が施され、いわゆる復興デザインが加えられた。」と記載されています。
時計塔(Wikipediaからの抜粋)
東側(Wikipediaからの抜粋)
南側(Wikipediaからの抜粋)
北入口(Wikipediaからの抜粋)