SSブログ

国宝・重要文化財:奈良県 室生寺 長谷寺 [海外旅行]


室生寺は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。西国薬師四十九霊場第8番札所。「女人高野」の別称がある。
平安時代を通じて興福寺別院としての性格が強く、俗世を離れた山林修行の場、また、諸宗の学問道場としての性格も持っていた。中世以降の室生寺は密教色を強めるものの、なお興福寺の末寺であった。興福寺の傘下を離れ、真言宗寺院となるのは江戸時代のことである。真言宗の拠点である高野山がかつては女人禁制であったことから、女性の参詣が許されていた室生寺には「女人高野」の別名があるが、この別名は江戸時代以降のものである。

延暦19年(800年)頃の建立で、木部を朱塗りとする。屋外にある木造五重塔としては、法隆寺塔に次ぎわが国で2番目に古く、国宝・重要文化財指定の木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小である。高さは16メートル強、初重は1辺の長さ2.5メートルの小型の塔で、高さは興福寺五重塔の3分の1ほどである。
「国宝」
金堂
本堂(灌頂堂)
五重塔
木造釈迦如来立像 - 像高237.7センチ。金堂の本尊で、平安時代前期(9世紀)の作。カヤ材の一木造である。台座と光背は当初のものが残る。光背に七仏薬師が描かれている点、堂内に十二神将(薬師如来の眷属)が安置されている点などから、本来は釈迦如来でなく薬師如来として造立されたものである。本像を含め、堂内の諸仏は平らな板に絵具で図柄を表した「板光背」を負う点にも特色がある。これら板光背は平安時代の絵画資料としても貴重である[20]。
木造十一面観音立像 - 像高195.1センチ。平安時代前期(9世紀)の作。カヤ材の一木造である。板光背は後補。金堂内陣の向かって左端に安置されていた(2020年に寶物殿に移動)。本尊釈迦如来像とともに、「室生寺様」(-よう)と称される特有の作風を示す。[21]
木造釈迦如来坐像 - 像高106.3センチ。弥勒堂の本尊に向かって右に客仏として安置されていたが、2020年に寶物殿に移された。伝来や造像の由緒は一切不明だが、作風から平安時代前期(9世紀)の作とみられる。太く丸みのある衣文と細く鋭い衣文を交互に刻む翻波式(ほんぱしき)衣文は平安前期彫刻の特色だが、本像のように全面に翻波式衣文を駆使した作品は珍しい[22]。
板絵著色伝帝釈天曼荼羅図

重要文化財(国指定)
弥勒堂 - 鎌倉時代
御影堂(奥の院) - 室町時代前期
納経塔(石造二重塔) - 平安時代後期。五重塔西側の如意山山頂にあり、非公開。
五輪塔 附:小五輪塔二基、基壇(伝 北畠親房墓) - 室町時代前期。
木造文殊菩薩立像 - 金堂安置、平安時代
木造薬師如来立像 - 金堂安置、平安時代
木造地蔵菩薩立像 - 旧金堂安置、平安時代
木造十二神将立像 - 金堂安置(一部は寶物殿に移動)、鎌倉時代
木造弥勒菩薩立像 - 弥勒堂安置、平安時代
木造如意輪観音坐像 - 本堂安置、平安時代
両部大壇具 2具(明細は後出)
大神宮御正体 - 弘安十一年(1288年)銘

nice!(22)  コメント(1) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。